一見普通の校外に住む裕福な家庭。父親は弁護士(カルビン)で、母は几帳面で家事をきちんとこなし(ベス)、水泳部に所属する息子(コンラッド)。しかし、この家族は何かが変なのは冒頭のシーンでよくわかるのではないでしょうか。演劇から帰ってきた父と母。母はまっすぐ自分の部屋に行きますが、父は息子の部屋に明かりがついているのに気づいて息子の部屋に行きます。次の日の朝も、息子が朝食をいらないと言っただけで母は息子の朝食を生ゴミ処理機に放り込みます。こうした日常のちょっとしたズレが、この家庭ではずっつ続いていたようです。どの家族も歴史を持っていますが、日常の積み重ねは気づきにくいものです。しかし、それは確実に違和感を残して大きな問題になっていくのではないかと思います。
息子(コンラッド)は最近、眠ることができず、父の薦めもあり精神科医(バーガー)のところへいくことになります。実はこの家族にはもう1人の息子、コンラッドの兄がいました。兄はヨット事故で亡くなっていたのです。このことが家族それぞれの大きな傷になっているのですが、コンラッドはその事故の後、罪悪感にさいなまれ手首を切って自殺未遂をしてしまったのです。一命は取り留め、一ヶ月前に退院できたのですが、不眠が続いていたようです。バーガー医師とのセラピーは話してどうなるんだ?というコンラッドの気持ちがあり、なかなか核心部分に話すことができませんが、だんだんと話していくうちにバーガー医師に信頼をおくようになっていきます。
ストーリーは観て頂くとして、ここではトラウマ(PTSD)と、家族病理について考えてみようかと思います。まず、トラウマについて。
この家族では、兄のヨットでの事故死が大きな傷になっています。コンラッドはその事故のため罪悪感にさいなまれます。実際、身近な人を亡くすとその人に対してあんなことを言ってしまった、やってしまったと罪悪感にさいなまれることは多いそうです。亡くなってしまった人に今までしようと思っていたことができない、うめあわせをしたいという後悔と修復の気持ちは、このような大事なひとを失う経験するとおこりやすいようです。(このような愛情や依存の対象であるものを失う体験をフロイトは対象喪失と呼んでいます 参:「対象喪失」小此木敬吾 中公新書)弟であるコンラッドは自分のミスで兄が死んだと思っています。しかし、仮にそうだとしても事故でありどうしようもありません。バーガー医師の言ったように「君の責任ではない」のです。これと似たようなシーンが映画「グッドウィルハンティング」にありました。この場合は虐待だったわけですが、人は悲しいかな、何かに理由づけしたい生き物のようです。理不尽な状況や出来事に遭遇した場合、人はその状況に耐えるために何らかの理由付けをして納得したい気持ちがあるようです。里湯があればそれはコントロール可能であるという幻想を抱けるからです。人は不可抗力であるという状況に耐えることはなかなか難しいのでしょう。(もちろんそのような時期抱えつつ、それを超えていく、ワークスルーしていくことが大事なことなのです)
その出来事自体とても悲しいことで家族の危機なのですが、それに加えてこの家族には元々抱えている問題がありました。それは、母親がもっとも大きな要因なのではなないかと思います。彼女は、頑固で完璧主義で、人目を気にしてばかりいます。自分本位の考え方であるところは、コンラッドが精神科医にかかっていることを父が話しただけで怒ったり、夫婦二人だけで旅行に行こうとしコンラッドの話題が出るとまるで自分を責められているように感じて怒ってしまいます。とても自己愛的な性格傾向を持つ母親といえるかなぁと思います。また、母親はコンラッドの兄を溺愛し、兄に自分を重ねていました。父親が最後にシーンで語るように、兄を愛しているのではなく、自分の延長としての兄を愛していたのでしょう。父親がだんだんと気づいていくのですが、彼女の人格は自分のためにのみ'作られた'人格で、本音が見えない、いったい自分が愛したのは誰だったんたという感覚を持つのも当然だろうかと思います。このこと兄への溺愛は、コンラッドだけ生き残ってしまったことがとても不快でいられなかったのだろうと思います。母はコンラッドを本気で憎いというわけではないと思います。しかし、自分の延長で分身でもあった大事な兄がいなくなってしまい、その傷ついた自己愛の矛先が弟のコンラッドへ向かってしまったのではないでしょうか。自分の大事な一部を奪われたため、どうしても自己が安定しない、コンラッドに愛情をむけることができない、コンラッドをみると自分の傷ついた自己に直面することになるということなのでしょう。(←コフート的なとらえ方で考えています)
さて、このような母親の状態もあり、コンラッド自身の罪悪感はさらに助長されたことでしょう。本来なら家族同士で話し合っていき、癒しを考えていくことがよいのでしょうが、強烈な外傷体験(トラウマ)は人の冷静な判断はできなくなっていきます。ちょっとしたことでどんどん悪循環になることがあります。誰でも気分が悪いとちょっとしたことで腹が立つことはあると思いますが、それが毎日ずっと続くと考えてみると、どんなに仲の良い家族でも崩壊はさけられないように思えてきませんか?外傷体験を乗り越えるということは本当に生半可なことではないことが痛感されます。この場合、元々の母親と家族関係の病理が根深く、今までの問題がありありと浮き彫りになってきたと考えられるでしょうか。コンラッドにとっては誰が自分の気持ちを受け入れてくれるのでしょう。父親は話を聞いて気遣ってはくれるが、本質を何もわかっていません(わかっていないというよりは愛する家族だからこそ、その闇を見たくなかったため見えなかったのではないでしょうか)、母親は自分を愛してくれず、嫌っている、自分自身も自分を許せない。このような状況では行き場がなく自殺をしてしまうのも仕方がないことなのかもしれません。
以上、家族の病理、トラウマについて考えてみましたが、この映画では重要な、しかし影の存在として精神科医(セラピスト)が出てきます。この精神科医の態度、言葉には非常に学ぶところが多いのですが、それはまた別の機会に。ここでは、コンラッドも父親も自分の感情、気持ちを吐きだし、そこから気持ちを整理しもがくなかで、家族を、兄の喪失体験を考えていくことができました。家族は崩壊してしまったかも知れませんが、この父と息子は兄の亡霊から抜け出し、いろんなことを抱えつつも生きていく力を得たのではないでしょうか。人生は厳しく、どうしようもない運命の車輪にまきこまれるものですが、それにとらわれることなくより良く生きようとあがく、もがく姿が人間らしさであり、強さであり、希望なのかなぁと思います。
- 2004/10/14(木) 22:21:47|
- 映画 ☆☆☆☆
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夢を売る芸能人が一ヶ月一万円で生活してどーするよ・・・・っと思うけど。えらい人気ありますねぇ。無駄にがんばってる感じがええのかなぁ
- 2004/10/14(木) 00:00:00|
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臨床心理でクライエントさんのケース記録を読むわけですが、そこにはその人のこれまでの人生や家族関係や出来事が凝縮されているわけです。不謹慎かも知れないのですが、人の生きてきた経過を生で読むといろんなこれまでのことが連想され実感としてその人を感じられて、興味深く感じ、人っておもしろいなぁっと率直に思ってしまいます。人ってにくめないなぁこいつって思う感じに似ているでしょうか。実際はとっても大変な状況だったりするわけですけど、人に触れると人っておもしろいと思ってしまうのです。その人が好きになる感覚は治療関係を作る上でとても大事なことだと思うのですが、そーいう人を好きになる感覚は大事なのかも知れないとも思うのです。
- 2004/10/13(水) 00:00:00|
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何事にも基本的に自分はやる気がない気がする今日この頃。
何でも活発にいろんなことやる人がいらっしゃるけど、僕はのんびりだらだらぼーっとしているほうが好きな気がする。まあ、研究やら映画やら好きなことはいろいろあるんだけど、エネルギーをがっと発散して使う方ではないということでしょうか。人それぞれ活動性ってありますなぁ。
- 2004/10/09(土) 00:00:00|
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映画の冒頭は、
カクレクマノミの両親がたくさんの卵を前に将来について話し合っています。そこへ、サメが来て卵をねらおうとします。それを守ろうと父親(マーリン)はサメと戦い気絶していまいます。気づくと母親はいなくて、卵はたった一つしか残されていませんでした。そのたった一つの卵を見つけたとき父親は「もう何も危険な目にはあわせないから、何も起きないようにするから…」と卵に話しかけます。
この卵が息子(ニモ)にとして成長します。父親にとって、妻も失いたった一つの大事な息子です。「何も危険な目には遭わせたくない」この気持ちは痛いほどわかります。しかし、この気持ちが強すぎるため父(マーリン)は過保護になってしまいます。しかも息子(ニモ)は片ひれが小さく、うまく泳げません。このことも父(マーリン)の危険に遭わせたくない気持ちに拍車をかけてしまいます。その過保護な愛情にニモは困りながら、うっとうしく思いながらも、初めての学校に行くことになります。ニモは同級生に度胸のあるところを見せようと、心配してニモについてきた父マーリンの制止を振り切って珊瑚礁の外に出たところを人間にさらわれてしまいます。そして、父マーリンは息子を捜して広い海を冒険することになるのですが、その途中ですぐ物忘れをしてしまうドリー(ナンヨウハギ)に出会います。このドリーと一緒に旅をするのですが、このドリーはすぐ物忘れをしてしまうため、マーリンの足を常に引っ張ることになってしましまいます。そのうち、ドリーに怒ってこう言ってしまいます。
「君は一人じゃ何にもできないんだ!ニモ!」
ここで、マーリンは初めてニモに対して信用して見守ることが全くできずにいたことに、ドリーへの投影を通してハッっと気づきます。過保護に子どものためだと思って、世話をしてあげていることは実は子どもが無力で信用できないものとして思っていることがあるのではないでしょうか?この過保護に隠された気持ちに、子どもは傷ついているかもしれませんし、それに飲み込まれてしまっているかもしれません。 この気づきから、少しずつドリーのことを信用しパートナーとして認めていくことになり、マーリン自身も息子との関係を考え直していくことになります。
また、その少し前にドリーが言った言葉も印象的です。「あの子に何も起きないようにするって約束したのに…」とつぶやいたマーリンに対して、
「子どもに何も起きないようにしたら、子どもは何もできないわ」
と、とても的を射た言葉をドリーが言います。人生に危険は付き物でそれからできるだけ守ってやりたい気持ちは、どの親も持っている気持ちであろうと思います。しかし、危険に出会って乗り越えることで子どもは成長します。問題に出会って試行錯誤することが大事な経験だと思います。しっかり、受容してあげることも大事ですが、信用して見守るという視点もしっかり親が持っていないといけないだろうと思います。最近、子どもの犯罪や学校への不審者が多く事件としてとりあげられ、子どもを守らなくては!という強い意識が子どもを持つ親にあると思います。しっかり守ってあげることも大事なのですが、それが行き過ぎて「何も起きないようにする」ように過保護になってしまうと、子どものためにならないし、子どもも楽しくないことでしょう。
その後、映画ではニモ自身も、人間にさらわれた水槽の中でちょっぴり自立する経験をし、また父親自身も旅の途中で前述のような親子関係を見直す経験をしていきます。(途中に親のあるべきすがたであるウミガメの親子とも出会うのですが割愛します)そして、父子は無事再開し、家に帰ることができました。二人とも成長し、今度は、ニモが勉強に外に出かける前に、父親のところに向かいます。そして、しっかり抱きしめられ「パパ、大好き」とつぶやきます。父マーリンも「パパもだよ」としっかりと抱きしめます。「パパ、もう離していいよ」とニモ、「ごめん」とマーリンは手を離して、
「いっぱい冒険しておいで」
と見送ります。最後のこのシーンで、しっかり受容してあげて、また見送るという親子のいいありかたが示されます。父としては、誰よりもかけがえのない存在なのですが、それでも見送ってあげるというこの気持ちにとても感動させられます。親の「子を信じて見守るつらさ」が身に染みて感じさせられます。
親は子どもの保護者ですから、子どもをしっかり守り、いたわり、養う気持ちが当然強いと思います。しかし、また、自立を見守ることも必要でしょう。どちらの側面もしっかり持っていることが親としての在り方として望まれていることでしょう。しかし、気持ちとしてはこの二つの側面に常に揺れ動いているのが親の心境ではないでしょうか。危険なところから守ってあげたい、自分が全部嫌なところは引き受けたいという親心、その一方で、こんなのでは子どものためにならない!つきはなすこともしなくては!、という厳しい心も思い返すことでしょう。そんな揺れ動く気持ちに、僕は心を揺さぶられた感じがしました。
以上、子どもを持っていないのですが、私の感想です。
- 2004/10/08(金) 02:58:33|
- 映画 ☆☆☆☆☆
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とうとう始めてしまったわけですが。
ブログの方が書くのは書きやすいです。やっぱり。HTMLをいちいちうつのはめんどくさい。それだと敷居が高いんですよね。ブログだとちょこちょこっと書けるから便利。ちゃんと更新していけるといいんですけどね・・・。
ところで、ブログ。はてなとライブドアだと使い勝手が違いますね。はてなのほうが日記としては書きやすいなぁ。ライブドアはちゃんとてーまがあって文章書く方がいいのかなぁという感じ。しかし、ライブドアは深夜はかなり混んでます。ほりえもんのせいかなぁ。
- 2004/10/07(木) 00:00:00|
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あややがCMしているかぎり、午後の紅茶は買いたくない・・
あややがCMしているかぎり、エプソンは買いたくない・・
あややがCMしているかぎり、プリッツは買いたくない・・
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でも、ぷよぷよは認める。
- 2004/10/04(月) 00:00:00|
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ソフトとテニスを二日続けてやりました。息するだけで体が痛い・・・あううう。
ここ最近、家で引きこもって本やら論文やら読んでたんで体がだめだめです。
- 2004/10/02(土) 00:00:00|
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